日本におけるモーター・スポーツの歴史は、すでに明治時代から始まっていました。

 けれども、多くの人々から求められて受け入れられるようになったのは、鈴鹿サーキットが完成して、第1回日本グランプリが開催された1963年からのことです。日本で初めての本格的なサーキット、初めての本格的なレースに、20万人もの大観衆が熱狂しました。それ以来、モータースポーツは日本でもすでに40年余りの歴史を築いてきました。
 そして、第1回日本グランプリで走った当時最新のスポーツカーも、今ではクラシックカーとなりました。
 40年前のスポーツカーと云えば、まだほとんどが外国のクルマでした。

けれどもそれは、たんなる舶来趣味ではありませんでした。そして今、40年前のスポーツカーに乗ることも、たんなる骨董趣味ではありません。 
 そこには、未知なるもの、異なるもの、遥かなるものへの憧れの気持ちが含まれているのです。
言い方をかえれば、異文化を受容する精神と言っても良いのではないでしょうか。

 実際のところ、40年も昔のクルマと言っても、単に古いクルマのことではありません。
現代のクルマより優れたクルマだって多いのです。天才的な思考の跡が窺われる独創的な設計や、熟練した職人の神技的な手技によって作られた凝ったディティールなど、感心させられることも多いのです。
 それは、ギリシア彫刻や、ルネッサンス絵画や、クラシック音楽が現代に生きる私たちを感動させるのと同じことなのでしょう。

 むしろ現代のクルマのほうが、流行歌や家電製品と同じように、すぐに飽きられて棄てられてしまいます。大量消費社会という経済構造のなかで、自動車が数年で粗大ゴミとなってしまう状況は、資源、環境問題からも、考え直さなければならない時期に来ていることは明らかです。
 クラシックカーのなかには、すでに50年も、80年も、100年も走り続けているクルマもあります。
これまでの大量消費社会への反省から、地域性と伝統を見直すスローライフやLOHAS (Life Style of Health and Sustinability : 健康と環境、持続可能な経済に配慮したライフ・スタイル)という概念が注目される21世紀にこそ、クラシックカーが、より脚光を浴びる理由があるのです。

 クルマの基本的な構造は、実はここ100年、ほとんど変わっていません。
現代のクルマとクラシックカーとの大きな違いは、人とクルマとの間にコンピューターが介在していることです。その為に現代のクルマの運転感覚は、TVゲームのようにバーチャルなものになりつつあります。さらにコンピューターがすべてを制御する自動運転の研究さえ進められています。

 ところが、クラシックカーの運転には、それとは反対に人間の様々な能力が要求されます。
運動能力、注意力、判断力,五感と時にはそれを越えた第六感までもが。クラシックカーは、現代のクルマが、人間の身体を怠けさせ退化させて行くのとは反対に、人間の身体性の復活を要求します。クラシックカーとは、人間の能力を増大させる方向に向かわしめる機械なのです。

 また、クラシックカーのみならず、クルマの最も素晴らしいところ。それは、人間の行動範囲を拡大し、移動の自由を拡張したことではないでしょうか。

 COPPA DI TOKAI は、走る『自動車博物館』として地域の文化と交流し、自由な移動手段としてのクルマを操縦する楽しみを再発見し、交通のより安全で健全な発展に貢献することを目指します。


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